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小学生の頃、地元の少年野球チームに入っていたボクは、 少しでも速い球を投げたい一心で、 よく村田さんの「マサカリ投法」を真似したことがある。 ただし、あのフォームは本当に強靭な足腰じゃないとフラフラすることを身をもって知った。 肘の故障から復帰し、毎週日曜日に投げることからついた「サンデー兆治」。 あくまで先発完投にこだわった 無骨な人柄からついた「昭和生まれの明治男」。 こういったキャッチフレーズが付くのも、多くの人に愛されたがゆえだ。 数々の伝説をもつ男・村田兆治への取材が決まった時、 オールスターのことだけじゃなくって、 とにかくいろんなことを聞いてやろうと思ってインタビューに臨んだ。 |
村田兆治 (むらた・ちょうじ)
1949年(昭24)11月27日、広島県生まれ。福山電波工から67年ドラフト1位で東京(現ロッテ)に入団。71年に「マサカリ投法」と呼ばれるフォームに改造し、自身初の2ケタ勝利を記録。81年には19勝を挙げ最多勝に輝く。83年にヒジを手術したが、85年に17勝を挙げ復活した。90年に現役引退。通算215勝177敗33セーブ、防御率3.24。右投げ右打ち。 |

— やっぱり村田さんにとっても、オールスターに出ることって憧れだったんですか?
村田氏:私が入団した当時から球界にはON(王・長嶋)という偉大な存在がありました。あの憧れの二人と対戦するための「挑戦権」を得るには、まずオールスターでしたよね。
— ロッテ入団4年目にして、オールスター初出場。
村田氏:オールスターならテレビで全国中継されるじゃない? そこでONを抑えて、自分の名前を売り込みたかったんだよね。だから、私にとってオールスターは遊びじゃなくってアピールする場所。名誉であるとともにね。
— 「これを機にいっちょ名前を売ってやろう」と?
村田氏:だから、オールスターに出たいがために「マサカリ投法」を開発したようなもん。それを一番注目されている人に投げることによって、実証したかったんだよ。
村田氏:ベンチの中で感じたのは、監督を含めたパ・リーグの全員が「マスコミにもっと注目してもらおうよ」って一致団結した雰囲気だったね。だからこそ、惜しげもなくパ・リーグの実力を見せていこうって。そういう思いっていうのは、あの舞台に出て、同じリーグの人たちと交流して初めて得るものだよね。

— オールスターに出ると、やっぱり学ぶことって多いんですか?
村田氏:何事も経験、体験して帰ることによって成長していくんだよ。やっぱり出ないとダメですよ、オールスターには。
— そういえば、合計で13回もオールスターに出場されてるんですね?
村田氏:そうそう、「また来年もオールスターに出たい!!」って思うと、そのための課題が見つかるよね。身体を鍛えるだけじゃなくって、食べ物のこととか、プレッシャーに打ち勝つためにはどうしたらイイのかとか。君たちサラリーマンの人たちもそうだろ?
— は、はい…。
村田氏:人間はそうやって少しずつ成長していくもんなんだよ。辛いことがあるかも知れないけど、会社とともに自分も成長していかなきゃいけない。文句ばっかり言って行動が伴わない人はダメ。行動を起こすことが、新たな活力を生むんですよ。そこで得た経験を、次に活かしていく。同じ「努力する人」「全力を尽くす人」でも、自己分析することで成功した人が最終的に残るよね。
— 「頑張りました」だけでは人は成長しない、と。
村田氏:そう、野球の世界も君たちのようなサラリーマン社会も、「自分の代わりはたくさんいる」っていう危機感を持ってやらないと。

— オールスターゲームってよく「お祭り」って言われますけど、村田さんはあの舞台でフォークボールを投げたりされたんですか?
村田氏:うん、でもオールスターでフォークを投げて、打たれた覚えはないよ!! ただ真っ直ぐで失投は何回もあるけど(苦笑)。そして何年も出場していくうちに「真っ向勝負」でいくようになったんだ。
— MVPも一度、取られていますね?
村田氏:そんなもん、投げる前は「MVPを狙っていこう」とは思うんだよ。でもいっつも他のヤツに取られちゃうわ、あげくに連投までさせられるしさ。
— (一同爆笑)
村田氏:甲子園で六甲おろしを聞いた時なんかさ、あまりにもパ・リーグの現実と違うんで鳥肌が立ったよ。「ココなら毎日投げても良かったなー」ってさ。
— (さらに爆笑)

— オールスターの試合って他球団のキャッチャーに対して投げるじゃないですか。それっていかがでした?
村田氏:公式戦では私がノーサインで投げているっていう噂をみんな知ってて、「本当に村田さんのフォークボールをノーサインで取るんですか?」と聞いてくるんだよね。「ボクらにもノーサインで捕らせてください!!」って、梨田(近鉄)や田村(日ハム)とかが頭を下げてきたりね。
— 失礼ですが、あの「えげつないフォークボール」と言われたほど落差のある球をノーサインですか?
村田氏:でも彼らがそうやって頭を下げてきたんだから、心良く「いいよ」って言ってあげたよ。「だけど捕れなかったらお客さんの前で恥かくよ」って(笑)。やっぱり二人ともリーグの代表として選ばれてきたキャッチャーだから、そんな彼らがポロポロやったら野次られるからね。でも彼らは「いいです、オールスターも勉強の場ですから」って。
— 相当の覚悟がないと、そんなコト言い出せないですよね?
村田氏:そう、でも彼らの野球に対する姿勢が良かったし、そこまで後輩達から言われるのは私自身に力がついた証でもあるから、協力してあげたいなって。

— 村田さんと言えば、当時は「タブー」とさえ言われていた肘の手術をされたのを覚えています。
村田氏:絶好調みたいな時に肘をやっちゃったからね。それから3年間も離脱して、「人生も終わったかなぁ…」って落ち込んだ時期もありましたよね。「死んだ方がいいかな」って(苦笑)。
— でも1985年にカムバックされて、さらにオールスターの舞台にも復活されたんですよね!?
村田氏:そう、オールスターに選ばれて、あのマウンドに立って初めて「復活」というものに確信を持ちましたよ。オールスターに出ることによって応援してくれるファンの方々に少しでも喜んでいただく。それで再び、私のモチベーションが上がったんです。そういう機会を与えてくれたオールスターがあったからこそ、私は野球人生を続けることができたんですよ。
— 「死んだ方がいいかな」とまで考えられた時の心境ってお聞きしてもいいですか?
村田氏:そりゃあオールスターはもちろん、開幕投手も7年連続でずっと務めてきたのをリセットするってことは、一種の“廃業”なんだよ。その時に考えたよ、「今まで生きてきた人生は何だったのか?」ってね。そんなの考えたことないだろ?(笑)

— はい(苦笑)。 そんな状況からよく抜け出せましたね…。
村田氏:ただその時に、どう考えてもやっぱり“悔い”を残したくなかったんだよ。「投手」という仕事を続けるために、ベストを尽くすっていうのは改めてどういうことなのかって考えてみた。自分は「肘の痛み」に対して最善を尽くしているか? っていうことを…。それを何度も自分自身に確認するため、毎日、滝に打たれたりしたんだ。
— “全てのことに対して最善を尽くす”…、それってなかなかできません。でも肘にメスを入れるっていう誰もやったことのないことは怖くなかったんですか?
村田氏:そりゃー、怖かったよ。当時はまだ肘にメスを入れたピッチャーなんていなかったんだから。
— それに、「3年」ってやっぱり長いですよね〜?
村田氏:長いけどね、希望の光を見つけて「ゼロから出発しよう!!」って思ってからは早かったよ。
— 「復活のマウンド」に立った時の心境は?
村田氏:2軍のマウンドでカムバックした時は、いろんなことが押し寄せてきたよ。ただね、思うのは“復帰”っていうのは「ただ帰ってきましたね」ってこと。だから2軍で投げたのは“復帰”。私は“復活”してこそ意味があったから、「オールスターのマウンドに戻ってきたこと」が私にとっては真の意味での“復活”だったんですよ。

— ボクはあの時、村田さんならまだまだ投げられるんじゃないかなーって思ってたんですが…。
村田氏:私は「先発完投」にこだわってるから。それがエースとしての誇りだったし、プロとしてのやりがいでもあったんだよ。引退するといっても、別に人生の終わりじゃないんだから。むしろ大事なのは、新たな人生のスタートの仕方だよ。
— シーズンが終わってから引退を決められたんですか?
村田氏:いや、私はもう5月ぐらいにはもう引退するって決めてたんだよ。最後の年は「オールスターに出てくれ」っていう話もあったんだけどね。
— えーっ? そんなに早く? 最後の年だからオールスターには出たかったんじゃないですか?
村田氏:もちろん「出たい」っていうのはあるんだけど、その気持ちは押し留めたんだ。プロっていうのは結果が伴わないと、ファンに対して失礼だから。

— 「雨の中の引退試合」も有名な話ですよね?
村田氏:西武もさ、私の引退試合だから手抜きしてくれるんかなーって思ってたら、容赦なくゴンゴン打ってくる(笑)。でもね、私もそこですぐ「何が何でも抑えてやる」っていう全力モードに切り替えたよ。同じ終わり方でも9勝と10勝じゃ全然違うからね。一端やると決めたら、最後までやり抜くのが私の主義だから。
